2021年


ーーーー8/3−−−− ワクチン接種


 
コロナワクチンの接種を受けた。2回とも近所の掛かりつけ医院で行った。どちらも副反応というほどの物は無く、少し気が抜けたくらい、すんなりと終わった。

 2回目のとき、接種前の問診で看護師さんから「2週間以内に県外者と接触はありましたか?」と聞かれたので「いいえ、ありません」と答えた。そう言えば、待合室の入り口にもそのような張り紙があり、該当する人は入口手前の窓口で申し出るようにと書いてあった。

 自宅に戻ってから、ちょっと気になった。カミさんが8月上旬に2回目を同じ医院で受けることになっている。その3日前に、長女家族が県外から帰省する予定が立っている。ということは、上記の警告に該当することになる。当日にその事を口にして、接種が受けられなくなるというような事態になりはしないかと、心配になった。

 カミさんは市のコールセンターに電話をして訊ねてみた。すると、コールセンターは予約手続きだけやっているので、そういう事には返答できないと言われた。そこで厚生労働省の窓口に電話をした。すると、そういう規制は特に設けて無いが、実施者に問い合わせてくれと言われた。

 医院に電話を入れたら、以下のような回答だった。2週間以内に県外者と接触があった人は、万が一感染していると他の来院者にうつす危険があるので、医院の建物に立ち入らないようにお願いしている。今回の件については、駐車場に入ったら電話をして頂き、看護師が出向いて車の中で接種を行い、15分間経って問題無ければご帰宅下さい、とのこと。なお、1回目の副反応が大きかった方は、緊急事態に備えて、別の人に運転して来てもらった方が良いとのアドバイスもあった。

 なるほど、そういう事だったのか。それなら対応可能だから、予定した日取りで接種を受けることができそうだ、と安堵した。

 しかし、ずいぶん慎重だなと、驚いたことでもあった。厚生労働省がそのような規定を設けていないのも、考えてみれば当然だ。ここが渦中の東京都なら、来院したすべての人が、駐車場で接種を受けねばならないことになる。

 コロナ感染に対する感じ方に、都会と田舎ではずいぶん温度差があることを、あらためて思い知らされた。




ーーー8/10−−−  メダカ交代劇


 
長女が孫娘二人を連れて帰省するというので、メダカの水盤を清掃した。メダカがはっきりと見えれば、孫たちが喜ぶだろうと思ったからだ。水盤の壁を清掃し、砂利の汚れを落とし、新しい水に替えたら、メダカの生活環境は見違えるほど綺麗になった。私はそれを見て満足したが、カミさんは、孫たちはたぶん関心を示さないだろう言った。以前私が分けてあげたメダカを自宅で飼っているから、もはや珍しくはないはずだと。

 水盤の中のメダカは4匹である。それではちょっと少ないから、買い足そうかと考えていた矢先、長女から連絡があり、最近生まれたメダカが余っているから、持って行こうかと言った。ペットボトルに入れて運べば良いだろうと。話が楽しい展開になったので、私は嬉しくなった。

 メダカの運搬を実施するに当たり、長女は少々気を使ったようである。飛行機で移動したのだが、ペットボトルの機内持ち込みには規制がある。事前に航空会社に聞いて、今回のケースについては問題が無いことを確認したのだが、搭乗手続きの際にやはり止められ、しばらく待たされたとのこと。結局予定した通りに運ぶことが出来たが、たかがメダカで手間を取られるとは、難しい世の中になったものである。

 小さいメダカは大きいメダカに食べられてしまう恐れがあるので、前日に別の水槽を設置して水を張っておいた。到着したメダカを、ペットボトルに入れたまま水槽に浮かべ、水温に馴染ませた後、蓋を開けて放した。ゴマ粒のように小さいメダカが10匹ほど、水槽の中をすいすい泳ぐ様は愛らしかった。これまで大きいと感じたことなど無かった水盤の中のメダカが、ずいぶん巨大に見えた。

 異変は二日ほど経ってから起きた。水盤の方のメダカの様子がおかしくなったのである。4匹全員が、下の方にじっと留まって、ほとんど動かなくなった。それまでは、餌を撒けば、待ってましたとばかりに水面近くに浮き上がり、旺盛に食べたものだったが、そういう事もしなくなった。目の前に餌が降りてきても、食べようとしなかった。これは明らかに異常な状態だった。

 その二日後の朝、いつも通り水盤を覗きこんで、4匹とも生きていることを確認した。そのほんの1時間後に、1匹が水底に沈んで横たわっているのが見付かった。箸でつまんだら、死んでいた。この水盤の中でメダカが死ぬのは久しぶりなので、ちょっと驚いた。カミさんは、きっと寿命だから仕方ないわよと言った。彼らは我が家に来てから二年以上が経っている。

 悲劇はそれで終わらなかった。結局数日のうちに、全員が死んだ。長い間メダカの棲家だった水盤は、空しく水を湛えるだけとなった。

 原因について、様々な議論がなされたが、決定的な証拠は無く、結論は出なかった。唯一もっともらしかったのは、新しいメダカが来たから、古いメダカは役割を終えて死んだのだろう、という説だった。そんなオカルト的な話が信憑性を帯びるほど、突然に展開して終了した、真夏の死であった。




ーーー8/17−−−  空手の形 


 
テレビをつけたら、オリンピック中継で、空手の形をやっていた。一緒に見ていた家族は、「なんだかスポーツという感じがしないね」と言った。たしかに、格闘技なのに相手と闘わず、一人で演じているのだから、不思議な印象を受けた。

 後日、新聞のコラムに空手のことが書いてあった。沖縄の空手会館に掲げられている、昔の達人たちの言葉が紹介されていた。

 「空手に先手なし」

 「人に打たれず、人を打たず」

 などというものに加えて、興味深い言葉があった。

 「長年修行して、体得した空手の技が、生涯を通して無駄になれば、空手修行の目的が達せられたと心得よ」

 逆説的な表現だが、なんとなく意味するところが分かったような気がして、心に残った。記事を切り抜いて保存しようと作業をしていたら、家人が何をしているのかと訊ねたので、記事の内容を話した。すると家人は、何のことだかピンと来ないと言った。そこで私は、自分なりの解釈を述べた。

 路上でチンピラが女性にからんでいる。女性は嫌がって抵抗するが、チンピラはしつこくつきまとう。そこに第一級の空手家が通りかかった。その空手家なら、一撃でチンピラを倒すことができるだろう。しかし彼は手を上げず、ただ「やめなさい」と相手に言った。その態度に並々ならぬ気配を感じ、気圧されたチンピラは、すごすごと立ち去った。そのような光景を思い浮かべたのだと。

 殴ったり蹴ったりしなくても、勝負に決着をつける技の極意、鍛え抜かれた人間力というものは、実際に存在するのかも知れない。




ーーー8/24−−−  共同作業で打ち解ける


 
見知らぬ者どうしが、初対面に付き物のある種の垣根を越えて、親しい関係に移行するには、共同で何らかの作業を行うのが一番だと思う。

 小学5、6年の頃の夏休み、外房の海辺にある、親戚の別荘に滞在したことがあった。その別荘に、私と同年代の男の子二人が同宿することになった。二人は兄弟である。こういう場合、双方の親は一緒に遊びなさいと言う。しかし子供とはいえ、それ位の年齢になると、他者に対するつっぱりの意識が芽生えていて、そう簡単に仲良くなれるものではない。

 水着に着替えて砂浜に向かった我々は、なんだか硬い、気まずい雰囲気で、お互いに言葉を交わすことも無かった。

 向こうの父親の提案で、貸しボートに乗ることになった。波打ち際から離れるまでの間は、親父さんが漕いだ。子供たちはボートの座席にペタッと座って、成り行きに身を任せていた。しばらくして親父さんが、「君たちが漕いでみなさい」と言って、オールを上げた。私と、兄弟の内の一人が、漕ぎ手の席に並んで座り、一本ずつオールを握った。

 私もその子らも、ボートを漕ぐのは初めてだった。親父さんの指導の下、恐る恐る漕ぎ出したのだが、予想以上に難しかった。上手く水をとらえられず、オールの先が水面をかすると、急に力が抜けて、バランスを崩す。また、両サイドの漕ぎ方のリズムが合わないと、ボートの向きが急に変わる。慌ててなんとかしようとオールに力を入れると、ますます調子が狂って、ボートはグラグラ揺れた。傍目には楽しいボート遊びと映ったかも知れないが、当人たちはパニックである。それまで無口だった少年たちは、「あっちだ、こっちだ」とか「ああしよう、こうしよう」などと大声を上げて、ボートの操縦に躍起となった。

 すったもんだが過ぎ去り、少し慣れて船内が落ち着いてきた。すると、子供らは打ち解けている自分たちに気が付いた。以前からの友達のように言葉を交わし、楽しいとか難しいとか、きついとか面白いとか言い合った。皆で協力してボートを漕ぎ、海面を進むのは、気分が良かった。

 この出来事を境に、三人は心が通うようになった。残りの数日間、浜で泳いだり、磯で遊んだり、裏山に登ったり、堤防で魚釣りをしたりして、仲良く過ごした。

 冒頭述べた教訓は、この時の経験から得たものである。しかしこの事は、子供のみならず、大人になっても変わらない。顔を合わせて話をするだけの関係ではなかなか縮まらない距離も、一緒に体を使って作業をすると、ぐっと接近できたりする。それまで未知数だった相手の印象が、急に親しみが持てるものに変わったりする。

 肉体を使って、共に作業をし、協力し合うというのは、人間の根源的な楽しみであり、その楽しさ故に、心の垣根が取り払われるのではあるまいか。




ーーー8/31−−−  蘇ったCDプレーヤー


 
長年愛用してきたCD/MDラジカセがある。カセットテープの部分は、5年くらい前に壊れて使えなくなった。その後も、CDとMDは使い続けてきたが、昨年あたりからCDの再生がおぼつかなくなってきた。CDを入れても認識しなかったり、再生はできても音が飛んだりするようになった。症状が出始めた頃は、騙しだまし使っていたが、半年くらい経ったら、ほとんど絶望的になった。

 20年以上前に購入したものだから、もう寿命だろう。古い物だから、修理も効かないと思った。しかし、一応ネットで調べてみた。すると、そのような症状で廃棄するのは早計だとの記事があった。レンズをクリーニングしてやれば、直るというのである。クリーニングの方法は、綿棒などでやさしく拭いてやれば良いと。

 そんな事で直るとは、とうてい信じられなかった。しかし、簡単に出来る作業なので、ダメ元でやってみた。そうしたら、嘘のように綺麗に再生できるようになった。

 ネット情報というのは、時として本当に有難いものである。